< 出逢い >
日本蜜蜂との出逢いは1994年の事。当時飼っていた西洋蜜蜂の採蜜時に決まって盗蜜に現れるチャッカリ者程度にしか思っていなかった。
ある年のゴールデンウィーク、庭先に置いてあった西洋蜜蜂用の空の巣箱に、数匹の日本蜜蜂が出入りをしている。
蜜の匂いに誘われて寄って来たのかと覗いていると、やがて蜜蜂の羽音がどこからとも無く聞こえてきた。
空を見上げてみると、隣の民家の屋根越しに黒い蜂の塊が揺らめいて、こちらをめがけて飛んで来る。
それはまるでアニメに出てくる蜂に襲われるシーンそのものであった。
3分と経たない内に蜂の集団は、空の西洋蜜蜂の巣箱にたかっていった。
蜂を発見してから群れが巣箱に納まるまで、たった15分間のドラマに感動で鳥肌が立ったのを今でも鮮明に覚えている。
西洋蜜蜂を飼育していたので、分蜂の場面には幾度と無く立ち会った事がある。
しかし、分蜂群の自然入居に立ち会ったのは初めてであったからである。
今でこそ、金稜辺などの誘導花を置いて入居してくる群れに立ち会う事は多いが、花を置かずに空き巣箱に入ってくる場面に立ち会った養蜂家は少ないのではないだろうか。そのほとんどは「気付いたら入っていた」と言った具合である。
その頃は、インターネットも現在のように多数の情報が掲載されていない時代で、近くの日本蜜蜂愛好家の所へ、飼育方法などを相談に行った事を覚えている。
西洋蜜蜂に比べ、採蜜量が劣る上に逃げ出してしまう可能性が高いなど、日本蜜蜂は西洋蜜蜂の養蜂家にとって、気になる存在ではなかった。ただ、「蜜源を荒らさないでね」と願う程度の存在であった。
しかし、せっかく私の巣箱に飛び込んで来たのである。縁を感じずにはいられず、その厄介者を手なずけようと決意したのが始まりである。
< 別れと決意 >
巣箱から蜂が出入りする風景は、日本蜜蜂も西洋蜜蜂もあまり変わりない。巣箱に巣枠を入れてやったが、無駄巣が多くて管理も大変だ。
プロポリスを含まない巣は、もろくて採蜜もし辛い。と言うのが初めの印象だった。
蜂自身も非常におとなしい。西洋蜂なら時折、私の頭をめがけ飛んで来る喧嘩っぱやいヤンチャ者も居るのだが、日本蜜蜂にはそんな事が無かった。
4ヶ月ほど経ったある日の夕方、日本蜜蜂の巣箱を覗いて見たら、蜂が出入りしていない。
いつもなら、日が落ちて、暗くなる頃まで帰還する蜂が見られるのに、どうした・・・?
さては!!
それが、初めての日本蜜蜂の失踪体験である。呆然と巣箱の前に立ち尽くした。養蜂家の端くれとしてのプライドが、音をたてて崩れ去り、巣箱の前に膝を着いた。強烈な屈辱感と、出逢いから4ヶ月間の出来事が文字通り走馬灯の様に頭の中をかけ抜けた。
一つのドラマが終わりを告げるように、西の空に夕日が沈んでいった。蜩の泣き声まで悲しい演出に加わる、暑い八月の事でありました。
日本蜜蜂を飼う事は、「恋愛」に非常に良く似ている。かまいすぎても、ほったらかしでも駄目である。お互いにとって「空気のような存在」と言えるようになった時、強群が維持できると思う。それはまるで夫婦のようである。
次の日から、気持ちを切り替え、来るべき春に向け、西洋蜜蜂を手放す決意をした。
第二の養蜂家としての道に進むべく、てぐすねを引いたのである。
< 童話「夢」 >